●鈴木 真吾(Shingo Suzuki)さん
埼玉県出身。小学6年生の時に家族でオーストラリアに移住。南オーストラリア大学では応用理科学部の航空学科で学び、卒業後は株式会社電通に入社。スポーツ局を経て外資系広告代理店に転職し、ストラテジックプランナーとして働く。

ブランドの魅せ方などを考えるストラテジックプランナーという仕事

―現在のお仕事について教えてください

外資系広告代理店のストラテジックプランナーとして働いています。

広告代理店の仕事には多くの職種があるので一言では言えませんが、強いて言えば営業、クリエイティブ、戦略プランニング兼マーケティングの3つに分けられます。

その中でストラテジックプランナーは、営業とクリエイターの間に立ち、何をどのようにしてクライアントの要望に応えるのかをビジネス戦略およびマーケティング視点から考える役割です。

広告代理店をレストランに例えてみましょう。営業はお客様の注文を伺うウェイター、クリエイターは厨房で手を動かして料理を作る料理人だとすると、ストラテジックプランナーは栄養士のような存在です。

例えばお客様から「身体が温まるものがほしい」と注文を受けた時に、単純にスープなどの温かい料理を出すのか、それとも身体を温める性質を持った食材を使って工夫するのかなど、方法は様々。その中から最適な手法を選ぶことがストラテジックプランナーの仕事です。

具体的な業務は、クライアントの目的や予算などに応じて、適切な広告をテレビ、デジタル、野外広告などの様々な形で創り上げたり、キャンペーンやブランディングを行なったり、多岐に渡ります。
―ブランディングとは…?
クライアントのブランドが持つ本質的な部分を、どのように引き出すことで本来そのブランドが持つ魅力が世の中に最大限に伝わるか、を模索する仕事です。

例えばAppleを思い浮かべた時、「シュッとしたイメージがある」「デザインがかっこいい」などの感想を抱く方が多いのではないでしょうか。決して「買ってください」とか「安くします」といったことを言うイメージはないですよね。

これは、Appleというブランドが製品やサービスを開発し、世の中に送り出す際に、ブレることない信念とこだわりを持った形で世の中に対しコミュニケーションを行なってきたからだと思います。

このようなブランドの世界観や在り方を、広告表現を通して世の中に伝えることで、ものやサービスを世の中に普及させ、またそのブランドのそもそもの役割や世の中における存在意義をクライアントと共に創造し、また明確にします。
―今はどんな業務に関わっていますか?
とあるファーストフード企業などを担当させてもらっています。この企業が提供する商品やサービスなどの、世の中に対するコミュニケーションの創造、様々な形の広告の制作、また商品開発などにも携わる機会をいただいてます。
―広告代理店が商品開発まで関わるとは幅広いですね
そうですね。クライアントによって要望が違うので、色々なことができる点がストラテジックプランナーの面白いところだと思います。

家族でアデレードに移住。パイロットを目指して南オーストラリア大学で学ぶ


―昔から今のキャリアを目指していたのですか?
いいえ、大学ではパイロットになるための勉強をしていました。高校生の時、今後の進路を考える中で、パイロットになろうと決めました。

幼い時に、父がアメリカへ行き、趣味でヘリコプターの操縦士免許を取得しました。「それがきっかけでずっとパイロットを目指していた」というわけではありませんが、当時のビデオを見せてもらう中で、何かしら影響を受けたのかもしれません。

高校卒業後は、アデレードにある南オーストラリア大学の航空学科に進学しました。


―南オーストラリア大学を選んだ理由は?
アデレード内にある大学の中で、唯一航空学科があったからです。12歳の時に家族でオーストラリアに移住し、アデレードで育ったので、他の州に行くことは考えていませんでした。

航空学科のカリキュラムでは飛行訓練などもあり、ライセンスも取得しました。

妥協するくらいなら全く違うことを。卒業後は日本の大手広告代理店に入社

ところが、パイロットとしての就職は難航しました。

まずオーストラリアの大手航空会社のパイロットの応募資格は、オーストラリア国籍であること。僕は当時、永住権は取得していましたが、国籍は日本のままだったので、応募自体ができませんでした。

そして日本の航空会社は、当時パイロットを募集していないタイミングでした。

初期段階の飛行訓練で使用する小型機のインストラクターになる、などの選択肢もありましたが、夢だったのは大きな飛行機を飛ばすこと。妥協するくらいなら全く違うことをしようと考え、オーストラリアもしくは日本での就職を視野に入れて、どのような仕事や会社があるのかを調べ始めました。

まぁ、今振り返ってみると、パイロットに関しては、つまるところ頭脳と情熱の両方が不足してたのかもしれません、結局は(笑)

数学など、数字で物事を考えることが好きだったので、まずはコンサルティング業界が良いのではないかと思いリサーチしました。

そして、さらに調べるうちに出会ったのが広告代理店業界です。純粋に面白そう、楽しそうだと感じて興味を持ちました。
―広告代理店業界のどんなところに魅力を感じましたか?
ロジカルな面だけではなく、クリエイティブな要素がある点でしょうか。

コンサルティング業界は、クライアントの課題に対して、数字を使ってロジカルな解決策を提供します。 もちろん、それが全てではないと思いますが、左脳寄りの解決案が主になっていると思います。

ところが広告業界は、それに加えていかにクライアントの課題解決を面白くするかなどの、右脳で想像力を働かせて考える部分があると思いました。

そこで見つけた会社が電通です。ありとあらゆる色々なことをやっていて、特に日本では存在感や影響力もある会社だということを知りました。

たまたま求人を募集していたので応募し、運良く採用していただき入社しました。


―他の会社は検討しましたか?
いいえ、応募したのは電通だけです。当時は広告業界のことがあまり分かっていなかったので「とりあえず受けてみよう」という感覚でした。
―入社後のお仕事について教えてください
スポーツ局で放映権を扱う部署に配属されました。

オリンピックやワールドカップなどのスポーツイベントを日本のテレビで放送する際、電通が、権利元(例えばオリンピックならIOC、ワールドカップならFIFAなど)から放映権を購入し、日本のテレビ局に販売する仕組みになっています。

当時の実際の業務では、権利元との英語でのやり取りや、海外出張などもありました。また、日本のスポーツ、例えばJリーグの試合や、サッカー日本代表の試合の放映権利を、海外のテレビ局に販売する、などの仕事も行なっていました。

外資系広告代理店に転職し、ストラテジックプランナーへ


―転職のきっかけを教えてください
会社を通して広告業界全体の大きさを知る中で、スポーツ局以外の部分、特にストラテジックプランナーの仕事に興味を持ちました。

最初は社内での異動の可能性も模索しましたが、最終的には会社を出る決意をしました。

広告代理店ビジネスは、例えば電通ができた年から遡り、40年以上も前にアメリカで始まっています。

それであれば、日本の代理店だけではなく本場アメリカの広告代理店で働いても良いのでは?と思い、転職を考えるようになりました。

もちろん、転職に関しては色々な考え方がありますが、世界を見渡しても転職をすることは至って普通だと思います。むしろ日本は非常にユニークな雇用形態や働き方をしていると個人的には感じます。もちろん、それが良いとか悪い、ではないですが。
―転職活動はどのように進めましたか?
いくつかの企業に直接応募しました。

当時、ストラテジックプランナーの実務経験はありませんでしたが、本を読んだり、ストラテジックプランナーの方に話を聞いたり、自分なりにできることは可能な限りしていたつもりでした。

面接の時も「履歴書にはストラテジックプランナーという項目はないけれど、自分なりにできることはやっているつもりなので、チャンスをいただけたら嬉しいです」と言っていました。

そこで意気込みを買ってくれた企業の1つに入社し、ストラテジックプランナーとしてのキャリアが始まりました。

その後は、自分がステップアップしたいと感じたタイミングで転職してきました。自分でも調べ、転職エージェントを活用してさらに情報収集をしながら、直接応募してきました。
―日本と外資系の広告代理店で何か違いを感じますか?
まずはクライアントの違いです。日本の広告代理店のクライアントは日本企業が多い印象でした。一方で外資系広告代理店には、海外のブランドが日本でビジネスをするために依頼をするので、そもそも広告代理店に求めることが違うということもあります。

また、大きな違いを感じるのは、実際に働いている「人」です。例えばアイディアを出す時に、日本の会社だと、皆で集まって真面目に考えるイメージがありますよね。もちろん、それはそれで重要です。

ところが外資系広告代理店の場合は、そういったやり方と別に「ビールでも飲みながらやろう」となることも。良いアイディアや面白いものは、他愛もない会話の中から生まれる、という考え方もあるので、雑談をしながら不意に「今のそのアイディア面白いかも、それを軸に案を考えてみようか」となることもありました。こういった仕事のやり方は、日本の会社では経験したことがなかったですね。

こういった部分は、広告表現の違いにも間接的に表れていると感じます。例えば、海外にはあるブランドがその競合ブランドを揶揄するような広告などがあります。

日本には、競合他社を直接的に悪く言ってはいけないというような、広告表現に関する規則などがある中、海外の規則は日本よりも緩いという背景もありますが、仕事のスタンスが遊び心のある広告に繋がっている部分もあるのではないかと思います。

ポテンシャルを秘めた街・アデレードのブランディングに携わりたい


―これからやりたいことは?
僕が育った街である、アデレードという街全体のブランディングに携わってみたいなぁなんて妄想してます(笑)。

皆さんは「かっこいい都市」と言われてどんな街を挙げますか?おそらくニューヨーク、パリ、ロンドン…などが挙がるかと思いますが、こういった名前が思い浮かぶ街には、皆さんの頭の中にそれらの街の「イメージ」がある程度明確にあるということです。

そんな中「アデレードと聞いても何も分からない」という方がほとんどではないでしょうか。

これは街の魅力が伝わっていない、つまり、そもそもアデレードという街に対するブランディングが充分になされていないということ。

魅せ方を作り、適切な方法で伝えれば、興味を持ってくれる方が増えるかもしれません。色んな国の方にアデレードの良さをもっと知ってほしいですね。
―地元愛に溢れています!鈴木さんが思うアデレードの良さを教えてください
まず「素朴感」。荒らされていない、良いものを持っているけれどまだ皆に気付かれていない、というニュアンスを込めています。

アデレードがある南オーストラリア州は資源が豊富で土地もあり、世界的に見ても水素や太陽光発電などのクリーンエネルギーや再生可能エネルギーなどの面でも将来性が非常に高いです。

世界をリードするTesla(電気自動車やソーラーパネル、貯蓄電池などの製造や開発を行なう米国企業)が設置した世界最大級の大規模蓄電池は、南オーストラリア州に設置されたほど。

また、もちろん英語圏ですし、人口も増えています。

まだ訪れる人が少なく情報があまりない分、アデレード、そして南オーストラリア州は原石のような可能性を秘めていると思います。

デジタルでは伝わらない、オーストラリアの「測れない良さ」


オーストラリアの良いところも伝えたいですね。
―ぜひお願いします!
「オールインワン」的なお得感、でしょうか。世界の凝縮図のように様々な国の人や色々な文化が集まり、絡み合っているので、オーストラリアに行けば色んな国のことを一度に知ることができます。

また僕自身は気付きませんでしたが、他の英語圏に留学していた方から「オーストラリア人は、人が良い」と聞くことがあります。良くも悪くも、のんびりしているからかもしれません。

それから、オーストラリアに留学することで免疫がつくと思います。オーストラリアは日本のようにサービスも良くないし、頭を使わなければ非常に生活しにくいです(笑)ただ、視点を変えて、それを修行だと思って経験すると、人としての免疫力が上がるのではないかと思います(笑)

こんな風に、オーストラリアには「単純な物差しでは測れない良さ」があると思います。

もちろん街の知名度や人気ランキング、大学ランキングなどをネットで調べることも悪くはないですが、ネット上では得られない情報、例えば街の空気感や肌で感じる風、そしてその匂い。

スマホのカメラのフィルターを通して撮られた写真を介してではなく、自分の目にダイレクトに映る空の色の鮮やかさ、高さ、壮大さなど…

そういった、単純にネットで検索するだけでは到底実感できないことや、デジタルでは伝わらない良さが、オーストラリアにはたくさんあります。

画像や動画を見たり、周りの人から話を聞いたり、ネットやSNSで少し調べたりして得た情報と、自分自身が身体全体で体験することって、あまりにも違いますからね。オーストラリアの「単純な物差しでは測れない良さ」を、ぜひあなた自身の身体で感じてみてください。

取材後記

「このインタビューであれば、オーストラリアの良いところを言った方が良いですよね?」と、気候や生活費など様々な視点からオーストラリアの良いところを挙げてくださった鈴木さん。
ストラテジックプランナーの方は、こんな風に常にターゲットの知りたいことを多角的に考えているのではないかと、プロフェッショナルの視点を感じた瞬間でした。

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