●粟田 健太郎(Kentaroh Awata)さん
香川県出身。高松工業高等専門学校を卒業後、クイーンズランド大学でInformation Technology (Enterprise Information System)、クイーンズランド工科大学院でIntegrated Marketing Communication(IMC)を学ぶ。大学卒業後、そのままオーストラリアで就職・起業・解散を経験。2016年に東京に移住し、人材紹介業、技術ベンチャー支援、技術ベンチャーでの人事業務を経験。現在はRepro株式会社で人事責任者を務める。

ベンチャーの人事として、提供価値が最大化する組織作りに取り組む


―現在のお仕事について教えてください
Reproは、カスタマーエンゲージメント向上を目的としたマーケティングプラットフォームを提供する会社です。

具体的には、Webやアプリ、店舗への入店や購買履歴など、企業が持つさまざまなデータをもとに、消費者にとって最適なタイミング、内容のメッセージを最適なチャネルでコミュニケーションができるというものです。

このツールの提供や運用支援などを通じて、サービスと消費者の中長期的な関係構築を支援している会社です。

この会社の人事責任者として、採用や組織開発業務に関わっています。
―人事というキャリアのきっかけは?
高専の時に「エンジニアと一緒に仕事ができる人になろう」と思ったことがベースになっています。

もともと、ものづくりが好きでエンジニアを目指していました。

でも専門的に勉強するうちに、技術を極めて新しいものを作ることよりも、エンジニアの価値を世の中に伝える役割に興味を持つようになりました。
―留学前からキャリアの軸が定まっていたのですね
はい。そのためにビジネスや英語を勉強しようと考えていました。

オーストラリアの大学、大学院に留学しIT×ビジネス×英語を学ぶ


―留学のきっかけを教えてください
高専の時に参加した語学研修のプログラムです。

英語を学ぶためオーストラリアのシドニーに1ヶ月半滞在しましたが、英語を使いこなせるようになるには、厳しい環境で課題に取り組むことや、実際に長期間生活することで、現地の文化も含めて言語を理解することが必要だと感じました。

それまで国内の大学への進学を考えていましたが、これをきっかけに「海外の大学に留学しよう!」と大きく進路を変えることを決めました。
―クイーンズランド大学を選んだ理由は?
決め手はカリキュラムと、当時の世界大学ランキングにおけるクイーンズランド大学の順位です。まず、技術とビジネスを同時に学べる大学を探したところ、クイーンズランド大学のコースが目に留まりました。

また両親を説得するためには、 志望していた国内の大学と同等以上のレベルの学校の方が良いのではと考え、世界大学ランキングを参考にしました 。
―クイーンズランド大学の授業はどうでしたか?
技術面は、データベース設計やシステム開発の基礎を学ぶことができました。ビジネス面では、授業を通してマーケティングに興味を持ち、もう少し勉強したいと思うようになりました。 そこでクイーンズランド大学卒業後は、大学院に進学してIntegrated Marketing Communication(IMC)を専攻しました。
―クイーンズランド工科大学院を選んだ理由は?
(クイーンズランド大学のある)ブリスベンが好きで、最終的にはブリスベンにある大学院から選びました。

学部時代にクイーンズランド工科大学の学生と一緒に住んでいて、実際にビジネスの現場で働いている人から学べるという話などを聞いていたので「より実践的な 勉強をするのであれば、クイーンズランド工科大学が良さそう」と思いました。

その後、オープンキャンパスなどを通して、クイーンズランド工科大学以外の大学院の情報も集めましたが、結論としては、当初から志望していたクイーンズランド工科大学院に進学することに決めました。

現地の就活は大変だった…!卒業後はパースで就職


―就職活動について教えてください
オーストラリアで働くという経験を積みたかったため、現地の求人サイトseek.com.au使って仕事を探しました。ただ、正社員の仕事が決まったのは、クイーンズランド工科大学院を卒業してから3ヶ月後と、最初の就職活動はかなり苦労しました。

活動の初期は、ブリスベンのWebマーケティング会社での就労を目指していたものの、応募しても一切返事がなく、電話をしても毎日断られる日々でした。 飛び込みでマーケティングコンサルティング会社に履歴書を持って行ったりもしていました。
―ITのように専門性の高い専攻は、就職活動でも有利なイメージがありました…!
当時は職歴がなく、技術力も実務レベルには全く達していませんでした。日本のように一斉に就職活動を始めると思っていたので、インターンで経験を積んで就職する、というオーストラリアのやり方を知らず(日本のスタートアップ界隈では、インターンを通じて就活するということも広く知られていますが、そのような知識も当時は持っていなかったです)…

今振り返ると、学生のうちにインターンなどを通して実務経験を積んでおけば良かったと思っています。

場所にこだわっていられなかったので、オーストラリア全土にある、オンラインマーケティングと書かれているポジションに片っ端から応募しました。

ある日、ブリスベンから約3,600km離れた都市パース (日本―ベトナム間の距離に相当)内の会社に応募すると、翌朝に連絡が来て、すぐに社長とSkype面談をすることになりました。

今でもよく覚えていますが、朝メールがきていて、「いつでも話せます!」と返信したら、「じゃあ30分後に!」という感じでした。

そのSkype面談であれよあれよと話が進み、その面談内で意思決定するのであればオファーを出すと提案されました。

当時の自分にとっては、未経験の業務を社長直下の元でできるという、とても魅力的なオファーであったため、その場で即断しました。大げさではなく、自分の人生が大きく変わった1時間だったと思います。

引っ越しは大変でしたが、全く苦にならなかったですし、自分にとってはそれほど大きな決断でもなかったですね。大事なのは、とにかく、自分がやりたいと思う仕事のチャンスを掴み取ることだったので。
―なぜ内定をもらえたのですか?
その会社は、学業の成績を重視して新卒の学生を選考するという、オーストラリアでは珍しい基準で新卒採用を行っていました。

正直、学部の時の成績が、自分の中ではとても悔しいものだったので、大学院に進学した時に、大学院では圧倒的な成績を収めることを勝手に自分に課していました。

クイーンズランド工科大学院では、すごく勉強していて、結果的にかなり高い成績を残していました。

当時の応募者の中では、自分の成績が他の候補者に比べて、群を抜いて良かったらしいです。無名な会社に、なかなかそういう(成績の高い)学生が応募しないということもあったと思います。

結局相対的な評価しかできないので、自分がすごく優秀だったということではなく、応募者の中では良かった、というだけの話だと思います。

自分の信念に基づいて、努力を続けていたら、必ずどこかで報われるということと、結局相対評価なんだなということを、その時に体感しましたね。どういうマーケットで戦うかは、すごく大事という話です。

―オーストラリア人の学生でもなかなか取れない成績です!留学中にしっかり勉強しておくことは大事ですね。お仕事はどうでしたか?
仕事は楽しかったです。Web系のベンチャー企業で、SEO(検索結果で上位表示するためのマーケティング手法の1つ)事業の立ち上げをまずやりました。

ただ、SEOに関しても、事業についても、何も知らなかったので、SEOを1から勉強するところからでしたね。SEOの仕組みを勉強しつつ、サービスの仕組み作りと販売戦略の策定・推進支援を必死で取り組みました。

一番衝撃的だったのは、入社直後に「あと1ヶ月で上司がいなくなるから、仕事を全部覚えてほしい」と言われたことですかね。

「まじかよ」と思いましたが、自分も後がなかったですし「やるしかない」という感じでした。逃げずにやって良かったです。
―なかなか無茶振りですね(笑)
日中に引継ぎをしてもらい、その作業内容を録画する。その夜に、録画した内容を全てExcelのマニュアルに落とし込む。翌日は、そのマニュアルにフィードバックをもらいつつ、フィードバックが終わったら新しいことを教えてもらう。このルーチンの繰り返しでした。

最終的にはオフショアにチームを構築して、業務を全て移管することを目的としていたため、かなり詳細なドキュメントを作りましたね。いきなりチームのマネジメントもやったし、結構大変でした (笑)

ブリスベンで起業

―その後、ブリスベンに戻り起業されます。きっかけを教えてください
知り合いから、オーストラリアで会社をつくりたい、その社長をやらないかと誘われたことがきっかけです。日本で技術力に定評がある会社で、オーストラリアでも事業を展開していきたいという話でした。

自分の軸である「エンジニアの創造する価値を最大化すること」に繋がりますし、社長という仕事そのものにも興味を持ち引き受けました。ただ、あまり詳細は書けないですが、すぐにこの方とはお別れすることになりました。

でも、「せっかく起業したんだし、思いっきり自分のやりたいことをやってみるか!」ということで、3年半ほど頑張りました。半端な気持ちだったなと今振り返ると思います。

色んな経験はできた一方で、組織を大きくすることはできず、その意味で会社は失敗しました。一方で、この経験がなければ、今の自分はないと思えるほど、とても貴重な3年半でしたし、当時お世話になった方々には一生頭が上がらないと思います。感謝しかないですね。

「30代は1つのことを極める」帰国して、人材キャリアの道へ


20代では面白そうなことにどんどんチャレンジしていましたが、30代は1つのことを極めると決めていました。

会社を解散し、30歳を迎える節目のタイミングで帰国し、ハイクラス層のキャリア支援に特化した人材紹介会社に入社しました。求職者と求人企業の両方をサポートしていました。
―入社の決め手は?
オーストラリアに住んでいた頃に社員の方と知り合い、純粋に一緒に働きたいと感じました。この時の自分のテーマが「バケモノと働く」だったのですが、「この会社の人達やべぇな」と思ったことが、大きな理由ですね。

さらに、この会社のターゲットであるハイキャリア層の「何かを生み出すことができる」という点に、エンジニア(のものづくり)に通じるものを感じました。

コンサルティング会社から事業会社の人事へ。外国人採用も経験


その後、技術ベンチャーを支援したいという気持ちからコンサルティング会社に転職しましたが、挑戦する人や熱い気持ちを持つ人と深く仕事をするためには、外部の立場よりも事業会社の人事が良いのでは、と思うようになりました。

そこで個人的な繋がりのあった技術系のベンチャー企業に人事ポジションがあることを知って、仲間にしてくれないかとお願いしました。そこでは、自分の強みである採用をはじめ、就業規則の策定や労務などの人事業務全般を経験しました。
―印象に残っていることはありますか?
高い技術力を保有する外国籍エンジニアの採用を実現できたことは、特に印象に残っています。当時、外国人を6名採用し、社員の3分の1以上が外国籍という環境になったこともありました。

言語を問わず優秀なエンジニアを採用するという会社の意思決定があってこそですが、自分が介在することで、言葉の壁を越えて技術力の高い人材を仲間にできたことはとても嬉しかったです。

グローバルで戦うには人が必要。採用と働く環境づくりに注力していきたい

―現在の会社Reproに転職した理由を教えてください
採用だけでなく、もっと幅広く、そして深く、組織作りに取り組みたかったからです。

入社を決めた当時、Reproは、これからグローバルを攻める組織として、強力なエンジニアを採用し社内体制を整えることが求められていたので、採用で貢献しながら、人事の様々な側面に携わりと思いました。

現在は、コロナで外国人エンジニアの採用は限定的ではありますが、来たるべきタイミングに備える重要なフェーズだと思っています。そのため、外国人エンジニアの採用にこだわらず、とにかく人事的観点からできることをしっかりやっていきたいと思っています。
―これからやりたいことは?
勝負のタイミングが来た時に、アクセルを踏むことができる組織づくりです。例えば、採用、人事評価制度の運用、MVV(ミッション・ビジョン・バリュー)浸透をはじめとしたエンゲージメント施策が挙げられます。

デジタル領域で世界から遅れていると言われる日本で、Reproは今「エンゲージメントマーケティング市場でグローバルシェアNo.1に挑戦する」 というチャレンジングな目標に向かって勝負しています。

会社が勝負するためには、当たり前ですが、人が重要です。Reproの挑戦に強く共感してくれる人を 仲間にすることも大切ですし、それと同じくらい、社内のメンバーが、安心して目の前の難解な課題に挑戦できる環境を用意することも大切です。

まだまだ不十分なところもあり、同僚には迷惑をかけている部分もたくさんあると思います。それでも、社員一丸となって採用に取り組んでくれたり、組織課題の洗い出しに協力してくれたりと、愚痴を言うだけではなく、改善に向けて協力してくれる人も多く、すごくいい会社だなと思います。

幸せとは、自分の人生を自分で決めて歩むこと


―オーストラリア留学を通して学んだことは?
自分の人生を、自分で決めて歩むことの大切さです。オーストラリアでは、やりたいことを持っている人が多かったです。また、他者のアイデアに対し「良いね!」とポジティブに反応する人が多く、個々が自分の人生をハッピーに歩んでいると感じました。

自分の人生を歩んでいる人は「良い顔」をしています。幸せとは収入などではなく、自分で道を選ぶことではないでしょうか。

Reproで活躍している社員も、海外で勝負したい、面白いことをしたい、人の役に立ちたいなどの自分がやりたいことを持っていて、それが会社の求めることと合致しているから働いている、という人が多いと感じます。

日本では、高い目標を持つ人のことを「意識が高い」などと揶揄する雰囲気もあって、やりたいことを言いにくいのかなと思います。

弊社代表がSNSに「Reproが困難な目標を達成することで、志の高い目標を当たり前のように掲げられる世の中にしたい」という想いを投稿していましたが、自分もそのメッセージに強く共感しており、この会社に込められた想いは自分のミッションでもあります。

留学という選択そのものに満足せず、異なる価値観に触れる毎日を大切に


―粟田さんにとって、留学とは?
(少し考えてから)「 強いて言えば、強制的に異なる価値観に触れられる有効な手段」ですかね。日本では、意識しなければ異質なものに触れにくいですが、留学先では、逃げようとしても異質なものに触れざるを得ない(笑)

異なる価値観に触れると「ダイバーシティ」や「普通」という言葉を安易に使わなくなると思います。

多様性を唱えることは、そもそも違いを意識しているということ。例えば日本では、ダイバーシティは男女平等の意味合いなどで使われることがありますが、これはある意味、男女が違う、と認識しているということではないでしょうか。

属性で区別せず、個人を見ることが大切です。採用の現場でも「優秀」とか「普通これくらいできて当たり前」という言い方がありますが、色眼鏡を通さずに、誠実に目の前の個人と向き合って話を聞くことを心掛けています。

…ちなみにこれ(〇〇さんにとって、留学とは?)って、他の方はどんな回答をされてるんですか?
―人それぞれですね。大きな選択という意見もあれば、逆に、特別というよりは選択肢の1つ、という意見もあります
なるほど。たしかに、留学は、数年という貴重な時間を投資する、という意味では大きな選択ですね。

その点でいうと、自分が気を付けていたのは、大きな選択だからと言って、選択そのものに満足しないことですね。留学という選択の良し悪しを決めるのは、留学先での日々を自分がどのように過ごすか次第なので。

取材後記

「エンジニアと働く」を軸に様々なキャリアを選択されてきた粟田さんは、日本に帰国するタイミングで「いつでも戻れるように、そして(まだいないけど)子供が様々な選択肢を持てるように」とオーストラリア国籍を取得。人生には、思っている以上に色んな道があるのかもしれません。できるだけ多くの選択肢を持ち、納得のいく人生を歩んでいきたいと思いました。

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