●高野 光太郎(Kotaro Takano)さん
愛知県出身。日本の高校を卒業後、語学学校、タスマニア大学ファウンデーションコースを経て学部で動物学を学び、同大学院を修了。メルボルンでの就労経験を経て、現在はサンシャインコースト大学でウォンバットの研究に携わる。

サンシャインコースト大学でウォンバットの研究に携わる


―現在のお仕事について教えてください
オーストラリアのサンシャインコースト大学で、PhD(博士課程)研究生としてウォンバットの研究に携わっています。

具体的には、ウォンバットが感染する「疥癬(かいせん)」という感染症の研究です。疥癬はヒゼンダニという小さなダニによって引き起こされる病気で、場所によっては、この病気が原因でその地域のウォンバットが全滅してしまうくらい大変な病気です。その疥癬を撲滅し、ウォンバットたちを救うことが僕の研究の大まかなテーマです。

なんだか壮大な感じがしますが、普段はかなり地味です。ほとんどは研究室にこもって実験したり、論文を書いたりしています。

ただ、こもっているとは言っても「研究室で夜を明かして…(完徹)」という感じではないです。僕はだいたい9〜17時でオフィスにいますが、9時過ぎにふらっと出社して16時頃には帰る、みたいな人も多いですね(笑)
―ワークライフバランスを大切にするオーストラリアらしいですね。研究をどのように活かしたいと考えていますか?
病気を治療し、かわいいウォンバットたちの保全に繋げることはもちろんですが、この疥癬という病気はヒトを含めた100種以上の哺乳類で報告されているため、自分の研究が多くの生物を救うことに貢献できたら良いなぁとも思います。

嬉しいことにたくさんの人がこのウォンバットの研究プロジェクトに興味を持ってくれていて、僕も科学者の端くれとして情報発信をしようと、ブログも書いています。
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ブログを読んでくれた人が「ウォンバットかわいい!」という入り口から、生物や環境に少しでも興味を持ってくれて、行動や意識を変えるきっかけになれば、それはもうめちゃくちゃ嬉しいですね。
―なぜウォンバットを研究しているのですか?
実は最初からウォンバットの研究をしたかったわけではなく、オーストラリアに留学する中で、本当にいろんな「偶然」が重なって今があります。

オーストラリアのタスマニア大学へ留学し、動物学を勉強


―留学のきっかけを教えてください
中学生くらいから、漠然と外国に住んでみたいという憧れはありました。

父が船乗りで、当時は1年のほとんどを海の上で過ごしているような人でした。父が帰ってくる度に色々な国のお土産(謎の置き物など絶妙なセンスのもの)を見ていたのですが、今思うと、その謎の置き物たちを通して間接的に海外に触れていたことも影響しているかもしれません。

具体的に留学を意識するようになったのは高校生の頃です。

ただ、それまでの僕は、数学が嫌いなのに「なんか楽しそうじゃね?」と理系クラスを選んだり、「生物なんか選んでも大学も就職もないぞ」という先生の脅しにビビって物理を選択したりと、自分の進路について結構ふわふわした考えでした。あまり何にも考えてなかったんですね(笑)

もちろん最初は海外の大学へ進学するという発想すらなかったので、交換留学プログラムのある日本の大学に行きたいとぼんやり考えていました。 ところが、ある日そのことを食卓でふと家族に話すと、父が「それなら最初から海外の大学に行けば?」と。

父は本当に冗談のつもりでポロッと言っただけだったと思うのですが、「その手があったか!」とすっかり真に受けてしまって、大学留学を考えるようになりました。
―留学先としてオーストラリアのタスマニア大学を選んだ理由は?
かなり小さい頃に家族旅行でケアンズへ行き、なんとなくオーストラリアに親しみを感じていたこと、そして動物学を学びたいと考えた時、オーストラリアが良さそうだと思ったからです。 変わった動物もたくさんいますしね!

オーストラリアの大学を調べるうちに、タスマニア大学はカリキュラムにフィールドワークがあるなど、動物学に力を入れていることを知りました。

また、他州の大学に比べると学費が比較的リーズナブルなことや、あと「暑い場所は嫌だ」という理由などで魅力を感じたとも記憶しています(タスマニアは、北日本などと同じ西岸海洋性気候にあたり、オーストラリアの他の都市よりも涼しい)。
―動物学を専攻した理由を教えてください
小さい頃から動物が好きだったからです。

もともと小児喘息があり、当時は「今月は幼稚園に3回行けましたね!」みたいな入院生活だったらしいです。遊ぶこともできない暇な入院生活の支えが動物図鑑でした。おそらくそこから動物に興味を持つようになったのではないかなと思います。

動物の体の仕組みや進化は、僕ら人間にも起きてきたこと、そして今も起こっていることだと思うと、なんだか謎の親近感が湧くというか、自分たちにも深く関係しているように感じるところが面白くて好きなのかな、と思います。

就職のことを考えると、大学ではビジネスやITを学ぶべきではと思ったこともありましたが、「どうせやるなら好きなことやった方が良いんじゃないの?」という父の言葉もあり、最終的には動物学を専攻しました。

半年ほど語学学校に通った後、1年間のファウンデーションを経て学部に入学しました。
―留学生活はどうでしたか?
1年生からかなり専門的な内容を学べて、生物のありとあらゆることを広く深く知ることのできた学部生活はとても刺激的で楽しかったです。

とはいえ、勉強自体は基本的に3年間ずっと辛かったですね。ただでさえ留学生もほとんどいない学部で、英語が分からないから授業にも付いていけない。実習では僕だけ何をしていいか分からないようなことも多々ありました。

その中でも特に試験はもう嫌で嫌で(笑)毎回ストレスとプレッシャーで肌がボロボロになるほどでした。

ウォンバットとの出会いは、試験から逃れるため!?


そんな中、新学期に選択科目を選ぶ時、試験や課題の代わりに研究を行なうリサーチプロジェクトのクラスを見つけました。

とにかく試験が嫌だったので(笑)、試験がないことを理由にそのクラスを取ることに。
そこで話を聞きに行った先生がたまたま提示してくれたプロジェクトの1つが、ウォンバットの巣穴の温度変化の調査でした。
―ついにウォンバットの出会いですね!
はい。ただ、その時はウォンバットの研究をしたかったというよりも、フィールドワークが自分に合いそう、どうせならかわいい動物がいいかな、くらいの感覚でした。これがまさか今の仕事に繋がるとは、当時は1ミリも思っていませんでしたね…

奨学金を受け、大学院でもウォンバットを研究


―学部卒業後の進路について教えてください
タスマニア大学院へ進学し、引き続き動物学を勉強しました。

というのも、就職すべきか修士に進むべきか考えた時「学部で3年間あんなに必死に勉強したのに、この知識量と経験値じゃなんにも活かせないなぁ」と思いまして。学部で学んだことをもっと深く掘り下げるため、大学院へ進学することにしました。

ただ、その時点では日本の大学院への進学を考えていて、実際にいくつか研究室も訪問して話を聞いていました。

ところが、受験校を決めようとしていた矢先、先ほどお話ししたリサーチプロジェクトの先生から、タスマニア大学院でのウォンバットのプロジェクトに声を掛けていただきました。
―ウォンバットと縁がありますね!
英語も中途半端な外国人の僕になぜ声を掛けてくれたのだろうと当時は思いましたが、今はとても感謝しています。たぶん、少しでも経験がある人の方が良いと思って声を掛けてくれたのではないかと思います。

奨学金も少しいただけることになり、最終的にタスマニア大学へ戻ることを選びました。

大学院では、ウォンバットの感染症の新しい治療薬として検討されている「ブラベクト」の安全性に関するプロジェクトに携わりました。

働きながら動物の仕事を探し続けて、チャンスを掴んだ

―就職活動について教えてください
修士が終わって、僕としては結構やりきった感じがしたので、オーストラリアで動物や研究関係の職に就こうと勇み足で就活を開始しました。

でも、そんなに甘くはなかったですね。

ただでさえ求人の少ないこの業界。いくら履歴書を送っても、経験も永住権もない新卒の外国人と面接がしたい企業なんてひとつもありませんでした(笑)

とはいえ生きなければならないので、業種や職種を問わず、IndeedやLinkedInなどの就職サイト経由で片っ端から求人に応募。

まずは日系企業の引っ越し業務に始まり、その後、現地のマーケティング企業でお客様の電話対応を行なうカスタマーサービスや、外資IT企業でサービスの問い合わせを受けるテクニカルサポートとして働きました。

一方で、働きながら動物関連の仕事も引き続き探し続けました。動物学研究者向けのオーストラリアの求人サイトや、twitterで研究者をフォローして、情報をチェックしていました。

PhDの求人には2つほど応募しました。しかし、どちらも僕の修士時代の成績が足りないことや、論文を出していないことを理由に、採用には至りませんでした。

そんな中、ある日たまたまインターネットで「サンシャインコースト大学でのウォンバット疥癬のプロジェクト」の求人を見つけて、「おぉ!これは!」と思いメールを送りました。

実はこの仕事の募集要項には「オーストラリア人対象」と書かれていて、もともと僕には応募資格はありませんでした。そこで教授へのメールには「僕にはこういうスキルと経験があって、採用してくれたらマジで超活躍するよ!」みたいなことを書きました。

慌てて書類を用意して応募したものの、そこから数ヶ月音沙汰はなく、随分経ってからオンライン面談の案内が来ました。そのオンライン面談も面接というよりも雑談で、その後も「採用します」とか「合格です」という主旨のことは言われず。

気付けば書類などが送られてきて、「何だこれ受かったのかな?」と疑心暗鬼になりながら手続きを進めました(笑)
―念願の動物学のお仕事に繋がりましたね!
はい。あの時メールで試しにゴネてみて良かったな、挑戦してみるものだなと思いましたね。

終わりを意識することで、終わりに向けた過ごし方を考えられる


―留学が活きていると感じることはありますか?
物事の終わりを意識するようになったことです。これは、ずっと日本にいたら強くは感じなかったことかもしれません。

例えば、辛い試験を乗り越え学期を終えて、長期休暇で日本に帰ります。その長期休暇ってすごく楽しいんですよ。自分が生まれ育った場所で家族や友人と1年ぶりに再会して、思いっきり遊ぶわけですから。

でも、これって終わりがあるからこそ楽しいのだと思います。

休暇が終われば僕はまたオーストラリアへ戻ります。最後の1週間とかは「次この人に会えるのも1年後か…」なんて思ってかなりしんみりします。終わりがあるからこそ、家で食べる晩御飯が、友達と飲む一杯の酒が、いつも以上に美味しくありがたく感じたのだと思います。
―物理的に距離のある環境を行き来することで、自分も周囲も「今この瞬間がずっと続くわけではない」と気付きやすいのかもしれないですね
はい。だからこそ、今のPhDや周りの人との関係もいつか終わりがくることを前提に「終わった時にどのようなスキルを身に着けていたいか、どうすれば後悔なくやりきったと思えるか」ということを少しは意識できているのかなと思います。

留学は「できない」が多いから成長を感じる。まずは目の前のことをコツコツと

―高野さんにとって留学とは?
自分の「できない」を実感して成長するチャンスだと思います。

僕は、英語のネイティブスピーカーに囲まれて働く中で、今でも毎日劣等感を感じています。例えば、コミュニケーションの齟齬で実験がうまくいかなかったり、大人数の雑談についていけない時があったり…

ただ、自分ができないことや、だめなことが目に付きやすい分「今日のランチタイムの雑談では笑いを取れた」「論文で良い文章が書けた」などの日々の小さな成長を感じやすいです。
―これから留学する方にアドバイスをお願いします
目の前のことに地道に取り組むことでしょうか。

僕自身、あまり先のことは考えず色んなことを選択してきましたが、なんだかんだここまで来ることができました。

それは、目の前にある現実をしっかり受け入れ、やるべきことを地道に愚直にコツコツ頑張ってきたからかなと思います。そうすれば、これからも自分の行きたい方向に物事は転がっていのではないかと思っています。

取材後記

「適当な人間なので」と飄々と話す高野さんですが、留学中に偶然出会ったウォンバットの研究が今に繋がり、小さい頃から好きだったことをキャリアにしています。
高野さんへのインタビューを通して、力みすぎず、でも諦めず、日々を一生懸命過ごせば道は開けることを強く感じました。

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