●忰田 康征(Yasuyuki Kaseda)さん
福岡県出身。早稲田大学政治経済学部を卒業後、経済産業省に入省し、地域経済政策や貿易管理政策を担当。留学制度を利用してグリフィス大学院でビジネス学部スポーツマネジメント専攻を修了し、卒業後はスポーツ庁に出向。参事官(民間スポーツ担当)付参事官補佐を務める。※所属およびインタビュー内容は、取材当時のものです
野球の経験を通してスポーツ産業への課題を感じ、スポーツ庁へ
―スポーツの振興を目的とした行政機関であるスポーツ庁にお勤めですが、スポーツのご経験が?
小学校から大学まで野球をやっていました。同期の中にはプロになった人もいますが、それはほんの一握り。
ほとんどの人たちが野球とは関係のない職業に就く中で「せっかく長年頑張っても、職にならない世界では寂しい」と感じていました。
そこで「スポーツが産業として大きくなれば状況が変わるのでは」と考えるようになり、スポーツビジネスに興味を持ち始めました。
国家公務員として経済産業省に入省
―大学卒業後のキャリアについて教えてください
就職説明会などに足を運ぶ中で、純粋に「国のために働くって、夢があって面白そう」と思い、国家公務員を目指すようになりました。
経済学部だったので、専攻との親和性もある経済産業省を選びました。
入省後は、いわゆる総務のような各課を取りまとめる仕事や、地方分権に関する業務を担当しました。
地方分権とは、地方自治体の自治権を推進すること。
例えば、国で決まったことは、地方経済産業局という地域の支分部局が執り行いますが、その中には自治体ができることもあります。
そこで、国が持つ権限を自治体に渡し、より身近な住民サービスに繋げることを目指します。
私は、権限の移行に関する市や県からの要望を精査し、ルール設計をする仕事に関わっていました。
留学制度を活用し、オーストラリアでスポーツビジネスを学ぶ
―留学のきっかけを教えてください
仕事にも慣れて少し余裕が生まれると、もともと興味のあった留学を考えるようになりました。
最初は国際貿易などを専攻しようと考えていましたが、ちょうどその頃、東京オリンピックが決まりスポーツ庁の設置も発表され、スポーツへの関心が高まっていて。
「このタイミングであれば、スポーツ専攻で留学できるのではないか」と感じたことや、スポーツ経験者という自分のバックグラウンドからスポーツビジネスで志願したところ、留学が認められました。
―スポーツビジネス留学をした方は他にいましたか?
国家公務員の留学としては初めてでした。運やタイミングが良かったと思います(笑)
―国民のスポーツ実施率が高いことや、スポーツをレクリエーションとして捉える文化への興味から、留学先としてオーストラリアを選んだそうですね
はい。オーストラリア留学センターに、オーストラリアでスポーツビジネスを学べる学校を調べてもらいました。
その中から、気候の良いゴールドコーストにあるグリフィス大学院を選びました。
―制度を活用した留学でも、留学先は自分で決めるのですね
留学先や専攻、滞在先などは自分で決めます。
欧米であれば留学していた先輩も多いので、情報が手に入りやすいですが、オーストラリアの場合はあまり前例がなく、自分で調べて動くことが多かったです。
留学中は、生活と授業の両軸でスポーツビジネスの学びを深める
―実際にオーストラリアに住んでみて、現地のスポーツのあり方をどう感じましたか?
まず都市計画が上手で、スポーツを身近に楽しめる場所が整っていると感じました。
住宅街やショッピングモール、公園などのエリアが分かれているので、街全体を見た時に、どこに何があるのかが分かりやすいです。
公園にはバーベキューセットも置いてあり、家族で一日過ごすことができる。このような開放的な空間があると、遊びでスポーツを取り入れやすいですよね。
それから、オーストラリアにはパブやスポーツバーが至る所にあります。スポーツをやるだけではなく、観る側として楽しむなど、様々な形でスポーツに関われると思いました。
パブにも、夕方の5時や6時頃から人がいますよね。
「人が会社に働かせてもらう」のではなく、働く人が大切にされている。
こういう社会全体の意識によりワークライフバランスがとれて、スポーツを楽しむ時間と余裕も生まれるのではないでしょうか。
そして興味深いのは、子供と大人の遊びの感覚が一緒であること。
例えば、70歳や80歳のおばあちゃんがビキニを着て海で泳いでいたり…
日本であれば「年甲斐がない、恥ずかしい」という感覚になる人も多いと思いますが、オーストラリアには「子供と同じことをしている大人はダサい」という雰囲気がない。
だから、他人の目を気にせずオープンに楽しむ人が多いのではないかと感じました。
―住環境やライフスタイルなど、様々な要素がスポーツを身近にしているのかもしれませんね。グリフィス大学院の授業はいかがでしたか?
授業で学術的な理論を勉強し、課題を通して、理論が実社会でどう使われているかを学ぶことができました。
特に、オーストラリアには受け身の授業がなく、課題対象も自分で選ぶのでとても勉強になりました。
例えば「好きなショッピングセンターを選んで、その会社のマーケティングプランを分析する」という課題が出た時のこと。
日本の学校では正解を出すことが重視されるので「○○会社のマーケティングプラン」と指定されることが多いです。
日本の教育に慣れていた私は「どの会社を選べば良いのか」「どこを選ぶことが正解なのか」と思ったのですが、「あなたが好きなところを選べば良いんだよ」と言われて。
その時「好きなことを選べることは嬉しいはずなのに、選べない」という自分に気付き、はっとしました。
このように正解のない課題を出されることで、学術理論だけではなく能動的に学べます。
自ら調べて、理論を元に分析し、深掘るべき部分が出てきたら他の文献にあたってさらに広げて…
理論武装するためのプロセスを学べて考える力が育つので、社会で活きる力が身に付くと思いました。
また日々課題に向き合っていると、世の中に事例が転がっていることに気付きます。
当時、スポーツ観戦中にスポンサーが出てくると、どのスポンサーがどのような取り組みをしているのか、スポーツマネジメントの理論がどう活かされているか、それが良いのか悪いのか、などが自然に見えてきたりして。
―オーストラリアの教育スタイルによって、授業だけではなく日常からも学びを深められたのですね!
留学で培ったノウハウを活かし、スポーツ庁で事業の立ち上げも
―留学後について教えてください
グリフィス大学院を卒業後、留学前から希望していたスポーツ庁に出向し、スポーツオープンイノベーションプラットフォーム(SOIP)事業の立ち上げに携わりました。
SOIPは、スポーツ産業を大きくするため、他業界を含めスポーツに関わる自治体や企業の幅を広げる目的で打ち出された施策です。
ただ出向当初は、何を行うか決まっていない状態でした。
そこで、オーストラリアで学んだ「スポーツのアクティベーション(企業がスポーツのスポンサーを通して行うマーケティング活動)」という概念を念頭に、事業の定義付けや方向性の決定を行いました。
具体的に目指したのは、スポーツをビジネスやエンターテイメントとして捉えること。
スポーツは、やる人や鑑賞する人など人によって関わり方が違うので、幅広い領域でスケールさせることが可能です。
人材を増やすにしても、スポーツだから特殊な人材が必要というわけではありません。
一般的なビジネスのノウハウがあれば活かすことができ、むしろマーケティングにおいては他業界の人がいる方がスケールしやすいことも。
実はこれは、留学前は持っていなかった発想です。
私自身、留学前は「スポーツはスポーツ」と思っていました。
しかし、オーストラリアでスポーツビジネスをサービス産業の一つとして学び、スポーツも数ある産業の一部であることに気付きました。
―オーストラリア留学で学んだことが、事業の根幹に活かされているのですね!
―民間企業ではなく、官公庁という立場でスポーツ産業に関わるメリットはありますか?
今の日本では、スタジアムなどの整備を全て自走し、資金を回収できるスポーツチームは少なく、投資する企業も決して多くはありません。
行政の支援によって動きが活性化する部分もあるので、行政の役割は大きいと思います。
また官公庁には、海外でスポーツビジネスを勉強した人間が少ないので、個人としても差別化ができていると感じます。
スポーツ庁はスポーツ団体と企業を仲介する役割を担うので、ビジネスの話ができるということは大事です。
スポーツ団体には、面白いビジネスの可能性がある
―現在、特に力を入れている取り組みは何ですか?
個人的に面白いと思うのは、中央競技団体の強化です。
中央競技団体は、各競技において全国で唯一の団体のこと。
中央競技団体に登録しないと参加できない大会もあるので、競技選手は、基本的に中央競技団体に登録します。
この登録者たちに上手くアプローチできれば、資金が集まりより良いサービスに繋がります。
それによってスポーツを楽しむ人や競技人口が増え競技レベルが上がれば、選手も強くなり、大会が注目されスポンサーが増えて、放映権などの話に繋がり、団体がさらに潤うという良い循環が生まれます。
ところが現在は、観覧者のデータが取れていないなど、ベースとなる顧客基盤を掴めていない状況。
競技団体が自立できるよう基盤の強化が不可欠です。
まだ取り組めている団体は少なく、意識を変えることはチャレンジングではありますが、きちんと機能すれば面白いと思っています。
日本の当たり前は当たり前ではない。オーストラリア留学は人生の転換点
―忰田さんにとって留学とは?
人生の転換点です。
日本の当たり前が当たり前ではないことを知り、日本で正しいと思っていたことが正しいわけではないことに気付きました。
オーストラリアに留学するまでは、忍耐・我慢・根性などの価値観の中で、日本が世界で一番幸せな国だと信じていました。
ところが、もちろん経済など様々な要素はあるものの、オーストラリアでは人が幸せであることを感じ「日本で教わったことは、果たして幸せになるために本当に必要なことだろうか」と考えさせられました。
オーストラリア留学は、物事の見方が180度変わる良い経験だったと思います。
取材後記
国家公務員というと何となくお堅くて近寄りがたいイメージを抱いていましたが、「留学は良い経験になっていますから」と、どんな質問にも気さくに応じてくださった忰田さん。
忰田さんがオーストラリア留学で学んだことが、スポーツ庁で活用され、日本のスポーツ産業の基盤をつくっていると思うと、オーストラリアに関わった日本人としても嬉しくなりました。
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