●東 菜緒 (Nao Azuma)さん
東京都出身。都立高校を卒業後、クイーンズランド大学ファウンデーションコースを経て、ジャーナリズム学部を卒業。帰国後、米大手PR会社に入社して経験を積み、現在はネットフリックスの広報。
広報は、会社×記者×世の中のバランス感覚が大切
―広報のお仕事について教えてください
主な業務は、企業のニュースを正確に、面白く世の中に届けられるよう、記者やライターと関係構築をすること。
企業が発信したいメッセージを、いかにメディアに取り扱ってもらうか、どんな風に取り上げてもらうかを考えて提案し、記事掲載などに繋げることが目的です。
外資企業の場合、広報がビジネス戦略に直結している傾向が強いので、インパクトがすぐに目に見えることも魅力だと思います。
―業務で意識していることは?
まず、メディアにインスピレーションを与えられる企画を提案することです。
記者が記事を書く時、切り口として見ているのは「そのニュースが何に繋がり、社会的にどんな意味を持つか」ということ。
そこで、会社の宣伝ではなく「業界全体においてどのようなニュースか」「消費者にとってどんな変化があるか」という目線で説明することを心掛けています。
また、世の中の人たちが知りたいことも意識しています。
業務の中で対峙するのは記者ですが、最終的にアプローチをしたいのは世の中。「ものやサービスの魅力を、世の中にどう伝えるか」という視点も欠かせません。
作品や配信サービスの魅力をどう届けるかを考える日々
―今、特に力を入れていることを教えてください
ブランドの魅力の発信はもちろん「動画配信サービスの価値をどう伝えるか」を日々考えています。
インターネット経由で映画やドラマを観ることはまだ新しい文化なので、より多くの方に知っていただき、配信の市民権を上げていきたいです。
―どんな時にやりがいを感じますか?
チームで思い描く企画が、記事や特集として形になることでしょうか。
印象的な取材は、学生時代から大好きな雑誌BRUTUSに、遥々東京からネットフリックスのロサンゼルスオフィスまでお越しいただいたことです。
コンテンツの視聴方法がDVDから配信に変化している今、映画づくりの本番ハリウッドに改めて焦点を当てる意味があることなど、映画づくりの変化についてお話を聞いていただきました。
―東さんのお話からは、メディアへの愛を感じます!
実は、私自身もともと記者志望で、オーストラリアの大学ではジャーナリズムを専攻していました。
「ニュースが分からない」帰国子女の葛藤から、記者を目指すように
―記者を志望したきっかけを教えてください
家族の関係で、小学校4年生まではオーストラリアと日本を行き来する生活を送っていました。
オーストラリアにいる間は祖母に日本のコミック誌や雑誌を送ってもらっていたので、当初からメディアが身近な存在だったのかもしれません。
その後日本に定住しましたが、最初は日本のテレビを見ても、日本語を消化しきれず内容が入ってこない。
そんな中、中学生になると池上彰さんのニュース解説番組に助けられることもあって。
池上さんのように分かりやすく世の中を伝えることに漠然と憧れ、次第に記者を目指すようになりました。
高校で海外志向の仲間に囲まれ、留学を決意
―大学留学のきっかけを教えてください
通っていた高校の影響が大きいです。
規則が少ない自由な校風に惹かれて入学した母校は、帰国子女や留学生が多く、留学を意識しやすい環境でした。
さらに、一般的には留学=北米というイメージが強いと思いますが、私が通っていた高校からは、アジアやヨーロッパの大学に進学する生徒もいて。
その中で「日本以外の海外」を広く捉えるようになり、留学先も様々な選択肢を視野に入れていました。
―オーストラリアを選んだ理由は?
記者という夢に向けてジャーナリズムに強い大学を探していたところ、オーストラリアのクイーンズランド大学が目に留まったからです。
ジャーナリズムを専攻できるのは、多くの大学では大学院からのようですが、クイーンズランド大学は、学部生からジャーナリズムを専攻でき、せっかちな私に合っていると思いました。
―オーストラリアの大学は学部1年目から専門課程を履修するので、やりたいことが決まっている人には魅力ですね。授業はどうでしたか?
TVやラジオ制作、記事を書く授業、フォトジャーナリズムの一環で写真の撮り方を学んだり、オーストラリアのテレビ局でインターンを行ったり…
記者としての基本的な技術を身に付けられる実践的なカリキュラムだったと思います。
―ジャーナリズムは高度な語学力が求められる印象です。大変だったのでは?
ファウンデーションコースのエッセイの書き方の授業が役に立ちました!
文献の調べ方や長い文章の読み方、まとめ方をじっくり学べたことは、大学で成功するための良い修行だったと思います。
日本の高校生はオーストラリア現地の高校生とは違い、エッセイ独特の構成や引用方法などの書き方に慣れていません。
大学ではエッセイ課題も多いので、ファウンデーションコースで学んでいて良かったと痛感しました。
ジャーナリズムの知見を活かし、PR会社に入社
―就職活動はどのように行いましたか?
まずはオーストラリアの記者職を探しましたが、募集が少なく、現地の学生ですら就職が難しいほど。
さらに日本の新聞社やテレビ局は、募集時期がオーストラリアの学期中だったため、就職活動のタイミングが合わず…
そこで、比較的入社時期がフレキシブルな外資系PR会社や広告代理店などを視野に入れることにしました。
学期中に企業サイトから直接応募して、12月に卒業後すぐに東京で面接を受けられるようスケジュールを組みました。
正直手探りでしたが、翌年2月からPR会社に運良く入社することができました。
―PR会社の仕事について教えてください
最初は、PR初心者が行う「モニタリング」という業務を行いました。
朝早く出社して新聞やオンラインメディアを読み、めぼしい記事をクライアントに送ります。
この業務を通して、思想の違いなど各メディアの特徴を知ることができました。
それにジャーナリズム学部出身なので、毎日国内外の新聞を読めることが嬉しくて!笑
―本当にメディアが好きなのですね!
その後、外国企業の日本での認知、インバウンド目的の海外への広報活動、日系メーカーの商品のブランディングなどの仕事を通して、PRの色々な側面を学びました。
ネットフリックスに転職し、より事業目線を持つように
ネットフリックスへの転職の話が持ち上がった当初は、1つの会社に集中するというイメージが湧かず、正直迷いました。
PR会社では様々な企業を担当するので、飽きることなく楽しめていたからです。
―転職の決め手は?
ネットフリックスの社員の方々とお話しする中で、広報活動を大事にしていることを感じたことです。
決まった情報を発信するだけではなく、広報チームにあらゆる裁量を持たせていることにポテンシャルを感じ、挑戦することにしました。
―PR会社から事業会社へ転職し、何か変化はありましたか?
手に入る情報が増え、視野が広くなったと思います。
ネットフリックスは驚くほど透明性が高い会社で、事業計画や戦略などの情報にも横断的にアクセスできます。
その結果、会社として考えていることをそれまで以上に自信を持って説明できるようになりました。
会社を代表して話す立場である広報は、色々なことを知れば知るほど仕事がしやすくなるので、今の環境はとてもありがたいです。
さらに「企業のビジネスを前に進めるために、個人としてどう貢献できるか」という点を、以前よりも強く意識するようになりました。
広報以外の部分にも関心を持つようになり、今後はもっと映像業界の勉強もしていきたいです。
楽ではない留学生活。納得するまで考えて、覚悟すれば乗り越えられる
―東さんにとって留学とは?
時間・お金・気力を使う、人生最大の投資だと思います!
留学中は勉強するだけではなく、生活が伴います。
私自身、留学中は、限られた生活費とアルバイトで稼いだおこづかいで「贅沢をせずとにかく生きる」という状態。
大変だと思うこともあり、当時は必死でした。
でも、海外でしかできない経験がその後の人間力に関わる大事なことだったと思うので、勇気を持って飛び出したことに後悔はありません。
そして留学中に辛いと感じても、自分の中で留学に行く意味を整理できていれば乗り越えられるはず。
留学は決して楽ではないからこそ、決断する前に自分が納得して覚悟できるまで、じっくり考えてみると良いのではないでしょうか。
留学中は、日本でのつながりも大切に
―留学中にやっておけば良かったと思うことはありますか?
もっと日本の友達と連絡を取っておけば良かったです。
留学前に仲良くしていた日本の友人から、未だに「日本にいるの?」と聞かれることがあるのですが、これは私の努力不足 (笑)
もっと自分から連絡を取り、発信もするべきでした。
自分が努力しなければ、誰もつながりを維持してはくれませんから…(笑)
―記者に対する広報のアプローチと似ているような…さすが広報女子!笑
取材後記
留学当時から同世代とは思えないほど落ち着いていてしっかり者だった東さん。それは、自ら考え抜き、覚悟を決めて留学したからなのでしょう。
華やかなイメージのお仕事をしていますが、持ち前の芯の強さと安定感で、仕事や人生に着実に向き合う姿勢には、学生時代の東さんが重なりました。
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